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トランスメディア提供アイコン01 上田城 水面に映る桜

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2016年4月10日撮影
デジタル NIKON D7000
長野県上田市上田城跡にて

豊臣秀吉の亡き後、天下は大きく二つの勢力に分かれていた。

一つは石田三成。

対するは徳川家康。

このころ、上田城の真田家は迷っていた。

徳川につくべきか?

三成につくべきか?

そして究極の決断!

長男、真田信之は徳川方に、そして真田昌幸、信繁(幸村)親子は三成方に。

これは、どっちかが負けても、お家を残す為の決断だった。

1600年、家康、三成の2大勢力が関ヶ原にて激突!

そして、徳川は再び、上田城を38000人の軍勢で攻めた。

徳川の総大将は、後に二代将軍となる徳川秀忠。

そのころ、長男、真田信之が徳川秀忠とともに参戦。

そこで、秀忠、信之の忠誠度を確認するために、城攻めを命ず。

真田幸村VS信之、ついに兄弟対決!

信之、幸村が守る城(上田城の支城、砥石城)を攻める。

しかし、幸村、わざと派手に負けるふりをし、しかも砥石城を明け渡し、信之に手柄を立てさせる。

もちろん、双方の戦による被害は最小。

あっぱれ幸村!

秀忠、本格的に上田城を攻めようとするも、やはり、徳川家康のボンボン、戦のやりかたが分からず、真田昌幸、幸村親子の策略にはまり、ボコられる。

しかも、秀忠、関ヶ原の合戦に遅参、父家康にこっぴどく怒られる。

あっぱれ、真田親子!

しかし、真田昌幸、幸村が従っていた石田三成は関ヶ原の合戦で敗北。

親子の上田城は取り上げられ、昌幸、幸村親子は和歌山県の九度山に幽閉される。

しかし、後に幸村は大坂の陣で活躍するのはご存知の通り。

六文銭の伝説は、後世に残されるのである。


(写真の無断転載はお断りします)

by note1969kagami | 2016-04-30 17:05 | | Comments(0)

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