朽ちたトラス
2017年3月11日デジタル NIKON D7000栃木県日光市足銅山にて
江戸時代に栄えた銅山。採掘された銅は、神社仏閣の建材として使われた。とくに日光東照宮の瓦の装飾として使われたのだ。
明治期になると日本の銅産出量の40%ほどの生産を上げる大銅山に成長。しかし、この鉱山開発と製錬事業の発展の裏では、足尾山地の樹木が坑木・燃料のために伐採された。しかも、掘り出した鉱石を製錬する工場から排出される煙や鉱毒が大きな環境汚染をもたらした。周辺の山々は荒廃し、山地を水源とする渡良瀬川は洪水を頻発した。製錬による廃棄物は渡良瀬川下流域の平地に流れ込み、水質・土壌汚染をもたらした。この土壌汚染によって作物は実らなくなったのだ。いわゆる、足尾銅山鉱毒事件である。
明治政府はその解決策として、洪水対策として、これ以上汚染物質が拡散しないように、渡良瀬川下流域にある谷中村の住民を追い出し、広大な遊水地を造成した。
これが今の渡良瀬遊水地である。
この公害問題で、一人の男が奔走した。その人は田中正三早くから足尾銅山から垂れ流される鉱毒による環境汚染を指摘。国会議員になって、明治政府に掛け合うが、聞き入れることはなかった。ついには明治天皇に直訴しようとするも、逮捕、投獄される。それでも、彼はめげずに、公害問題を解決するために、人生をささげたのだ。
そして、現在。今は何にかと環境問題。土壌汚染や水質問題で世間は揺らぐ。マスコミは大きく騒ぐ。
そして2011年3月11日福島に不幸が訪れるあれほど安全安全とうたわれていた、日本の原子力発電。結局は大きな事故を起こし、今も故郷に帰れない人が大勢いる。いったい誰がこの責任をとるのか。結局は責任の押し付け合い。日本政府はこれらの問題を真剣に取り組もうとしない。
足尾鉱毒事件が起こった当時についても、日本人は何も学ぼうとしない。悲しい現実。
(写真の無断転載はお断り)
by note1969kagami
| 2017-04-06 20:12
| 廃墟
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