戦艦三笠
2016年8月13日
デジタル NIKON D7000
神奈川県横須賀市
日清戦争に勝利した日本。
下関条約により賠償として清国から遼東半島を割譲された。
しかし、強力な軍事力を極東に展開している露独仏三国の強い干渉を受け、遼東半島を清国に返還せざるを得なかった。
欧米列強の軍事脅威から主権と領土を守るためには海軍の強化が急務と明治政府は痛感。
そこで、戦艦6隻、装甲巡洋艦6隻を基幹とする「六六艦隊整備計画」を推進した。
「三笠」は、英国ヴィッカース造船所に発注した6隻目の戦艦。
明治35年(1902)3月に竣工。
日露関係が悪化し、戦時体制に移行した明治36年12月、連合艦隊に編入され、その旗艦になった。
そして、その翌年の1904年に日露戦争が勃発。
旅順が攻略され、ロシア側は、悪化した戦況を挽回するため、明治37年10月、第2太平洋艦隊を、次いで翌年2月15日、第3太平洋艦隊をバルト海のリバウ海軍基地から極東に派遣。
この艦隊の総称がバルチック艦隊。
当時連合艦隊司令官だった東郷平八郎は、バルチック艦隊は必ず対馬海峡を通過すると判断。
明治38年5月27日早朝、仮装巡洋艦「信濃丸」からの「敵艦隊見ゆ」との警報を受信した連合艦隊は直ちに出撃。
対馬沖でバルチック艦隊を迎撃し、5月27、28の両日にわたって激しい戦闘を繰り広げ、ロシア艦隊を撃破した。
いわゆる、T字戦法で、圧倒的な数で勝るロシア艦隊を勝利したのだ。
現在は横須賀の港に戦艦「三笠」は記念艦として保存されている
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by note1969kagami | 2016-08-30 21:29 | 歴史 | Comments(0)